Yoshiga's Wales & Cardiff Page

Wonderful Welsh Women


ウェールズ女傑伝

民族衣装?


スァノーヴェル男爵夫人

ケルト・ウェールズ文化への愛


スァノーヴェル男爵夫人ことオーガスタ・ホールは、1802年3月21日、 スァノーヴェルのティー・イハヴのベンジャミン・ウォディントンの娘として生まれた。1823年、ベンジャミン・ホールと結婚。(夫は後、庶民院議員、男爵、貴族院議員となる。議事堂の大時計塔の建設の任を与えられ、そこからその大時計が「ビッグ・ベン」と名付けられた。)

オーガスタの姉は既にのち、駐英ドイツ大使となるブンセン男爵に嫁いでいた。このブンセン男爵および仲間はケルト研究に興味を持っていた。19世紀の偉大なウェールズ人トマス・プライスの影響もあり、彼女自身も、大いにウェールズ的なものに興味を抱いた。1834年にカーディフで開催された吟唱詩人大会においては、ウェールズ語問題に関する論文で賞を得たほどであった。

オーガスタ・ホールはまた、地域の吟唱詩人大会に庇護を与えた。彼女のウェールズ的なものへの情熱を仲間のジェントリたちは嘲笑したが、彼女はそれにもめげす、彼女の宮殿のような館をすべてウェールズ式に取り仕切った。メイドには彼女の考える「民族衣装」を着せ、役職はウェールズ語にした。とかくラノヴァー婦人と言えば、ウェールズ民族衣装の「捏造者」として名が挙がるが、彼女の民族衣装にかけたウェールズへの愛情を忘れては、彼女に対する評価は片手落ちとなろう。

また彼女の館は、吟唱詩人大会にドルイド風の儀式を導入した熱狂的なウェールズ愛国者エドワード・ウィリアムズ(イオロ・モウーガヌッグ)の手稿の宝庫となった。彼女はウェールズ手稿協会のパトロンでもあったのである。また彼女の音楽への貢献としては、マリア・ジェーン・ウィリアムズやブリンレイ・リチャーズと共同してウェールズ民謡を集めたことであった。マリア・ジェーン・ウィリアムズは、それを1844年出版した。またその他、彼女はウェールズ語辞書作りに財政的援助を惜しまなかった。

彼女はまた宗教においては、戦闘的なプロテスタントであり、カルヴァン主義メソジスト派のチャペルを2つ寄進した。また禁酒運動にも精力を注いだ。ウェールズを熱烈に愛したラノーヴァー婦人ことオーガスタ・ホールは1896年1月17日93年の生涯を閉じた。